








御祭神 大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
場所 島根県出雲市大社町
社格 官幣大社、出雲国一宮(熊野大社と同じ)
高天原から追い出された素戔嗚尊(すさのおのみこと)は出雲国に降り立ち、そこに居を構えた。大国主大神は、日本書紀では素戔嗚尊の子、古事記ではその六世孫と伝えられ、日本国を造った神とされる。農耕・漁業・殖産から医薬の道まで、民衆の生活に必要な知恵を授けられた。
国造りによって築かれた国は「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」または「葦原中国(あしはらのなかつくに)」と呼ばれ、豊かな国となった。
高天原にいた天照大御神が、地上の国である葦原中国が立派で豊かなことを見て、どうしても欲しくなった。そこで天孫に譲って欲しいと求められ、対話と武力を交えた交渉を行った。十年余の間、さまざまな出来事や衝突が起こった後に、最後に大国主大神は国土を天照大御神にお譲りになり(国譲り)、自らは世界の幽冥(かくりごと)の主催神となられ、国の守り神となった。
皇孫に国を譲る条件として、高大なる宮殿を求められた結果、造営されたのが出雲大社である。祭祀は天照大御神の子である天穂日命(あめほひのみこと)にお任せになり、その子孫が出雲国造(いづものくにのみやつこ または いづもこくそう)となって、その末裔が宮司を務めることが現代まで続いている。現在は千家尊祐(せんげたかまさ)宮司が第84代出雲国造を務める。
大国主大神は、広く「だいこくさま」として慕われている。
また、出雲大社は「縁結びの神」としても有名。「縁結び」とは、生きとし生けるものがその処を得て幸栄えあるようにと、それぞれの生成発展のための「縁」が結ばれるという意味。
八百万の神が旧暦10月に出雲に集まり、縁談の話をしたとされることからも縁結びの印象が強まった。10月のことを「神無月(かんなづき)」と呼ぶが、出雲地域では「神存月(かみありづき)」と呼ぶ。境内には10月に集まる八百万の神のために「十九社(じゅうくしゃ)」という宿舎がある。
本殿は国宝。「大社造り」と呼ばれる日本最古の神社建築様式で作られている。九本の柱が田の字型に配置された正方形の間取り。御神座は、本殿と同じ南向きではなく、西向きに鎮座されている。2013年(平成25年)に本殿の4度目の修理が行われた(平成の大遷宮)。
かつての本殿は、16丈(約48m)あったと伝えられており、15階建てのビルの高さに相当する巨大建造物であった可能性がある。平成12年の拝殿北側の地下工事中に直径約135cmの巨大な御柱が発掘され、高大な本殿の実在性が確かめられた。もしも真実であれば、古代の大社の姿を見てみたいものだ。
鳥居は一の鳥居から四の鳥居まであり、順番に石、鋼、鉄、銅とそれぞれ違う素材を使った4つの鳥居を丁寧にくぐって参拝すると良い。
拝礼は出雲大社だけの独特なやり方で、二礼四拍手一礼で行う(普通の神社は、二礼二拍手一礼)。
境内にはかわいいウサギの石像が60体以上設置されている。その中の1体によると、出雲は日本酒発祥の地だそうだ。神社と御神酒はきってもきれない関係だが、ここからも出雲の歴史の古さが分かる。
出雲はぜひ訪れたいという憧れの地だったが、期待に違わぬ荘厳さと清明さがあり、とても有難いお参りができた。またいつか再訪したい。
古代出雲歴史博物館が休館日(火曜日)だったので、見ることができなかった。また、時間と天候の関係で伊佐の浜に寄ることができなかった。次回は、これらにも行きたいと思う。
古代出雲歴史博物館は、2025年4月から2026年9月(予定)まで耐震改修工事のため休館だそうで、再訪は工事完了後にする。
<補足>
大国主大神は、天照大御神に国譲りをする条件として二つのことを求めた。
1)大きな大きな宮殿を建てること →出雲大社の創建
2)目に見える「現世(げんせ、うつしよ)」は天照大御神が、目に見えない「幽世(かくりよ)」は大国主大神が治めること
幽世とは、目に見える現世をうつした世界といわれ、この現実の世の幸福は幽世からの恩頼(みたまのふゆ)により与えられる。そのことから、人と人とを結ぶ目に見えない縁や人の運命について大国主大神が治めることから、「縁結び」を司るといわれている。
幽世は「常世(とこよ)」とも呼ばれ、死後の世界を意味する。永久に変わらない神域。死後の世界のことを「黄泉(よみ、おみ)」と呼ぶこともある。大国主大神は、幽世を治めるためにこの世(現世)を去った。
恩頼(みたまのふゆ):「ふゆ」は「振ゆ」または「殖ゆ」に繋がる。「神様の力や霊感にふれることによって自分たちもその力に恩恵を受ける」という意味。
また、神様から頂く恵みを、恩頼(みたまのふゆ)という。
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