高松塚古墳


 7世紀末から8世紀初頭に築造された終末期古墳。二段式の円墳。被葬者は不明。昭和47年(1972年)に橿原考古学研究所の調査により発見された。壁画は国宝。
 古墳は飛鳥地方の西南部に位置し、この一帯は桧隈(ひのくま)と呼ばれており、渡来人がとくに居住したといわれ、周辺には天武・持統・欽明・文武の各皇陵がある。
 彩色壁画には、四神(しじん)、日像・月像、人物群像が描かれていた。実物は仮設修理施設での修理が完了し、保管されている。古墳の隣に高松塚壁画館が建設され、壁画の忠実な模写・模造が展示されている。
 石槨(せっかく)内部は、東西南北の壁に、青龍(東)朱雀(南)白虎(西)玄武(北)が描かれていた。ただし、南壁は盗掘者により壊されているために朱雀が描かれていたと予想されるだけで実物は無い。
 青龍・白虎の上部にそれぞれ日像・月像が描かれていた。
 天井には星宿(せいしゅく)図が描かれていた。直径9mmほどの金箔を円形に貼り付け朱線で結び星座を表現した。北極星座群とその周囲に、東西南北7宿ずつ計28宿を描いている。


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